01 日本橋 朝の景

日本語版

この画は、日本橋の南側から北方向、室町方面を見て描かれた朝の画です。

まず、この画が描かれた日本橋界隈の広域地図をご覧ください。各街道の起点である日本橋は、東海道の起点でもありますが、北に行く中山道の起点でもありました。当時の越後屋をわずかに北に進んで、中山道の室町三丁目を右に行くと、奥州街道や日光街道に行くことができました。その途中の大傳馬町は、大丸を始め江戸で一番羽振りのいい呉服店が建ち並んでいました。

日本橋を南に行くと東海道で、今の京橋や銀座を通り南下して、遙か先の京都に繋がります。

拡大してみるとわかりますが、日本橋は、日本橋川にかかる橋のことです。その日本橋川を左の皇居方面に行くと、一石橋で緩く右に曲がっていますが、江戸時代はこの外堀通りそのものが文字通りお堀でした。日本橋川も堀割になっていて、当時は江戸城内堀まで繋がっていました。

当時の町割りがわかる、JICHOマップを重ねてみます。日本橋川は、魚河岸を始め様々な河岸があり、物資の集積所となっていました。日本橋界隈は「日に千両動く」と言われる江戸経済の中心地でもありました。

日本橋を背にして、北に行くと、緑色の線で中山道となり、室町から神田方面に進みます。南にいくと紺色の線で、東海道となります。進行方向左側には西川のビルが今工事中で、その先が江戸時代には白木屋呉服店だった、コレド日本橋がある日本橋交差点になります。その真下が地下鉄日本橋駅になりますね。

広重の視点を赤いグラデーションで入れておきます。

広重の描いた日本橋をご覧ください。
大名行列の一行が、明るくなり始めてきた日本橋を渡って、国元に帰っていくようです。先頭の先箱、毛槍が一対となって描かれ、その後には羽織を着た家来たちが続々渡ってきます。橋の手前左には、棒手振りたちが魚や野菜を駕籠いっぱいにして、これから売り歩きに行くところのようです。日本橋には、河岸がありましたから、朝早くから、こんな人達が、数多く闊歩していました。

左右には開けられたばかりの黒い木戸が描かれ、棒手振りの後ろ側には高札場、橋の右には戯れる犬も描かれ、なんだかやたらリアルな景色に思えますね。と思っていたら、この犬のいるあたりは、罪人の「晒し場」だったようで、この戯れる犬にはそんな意味もあったようです。
なお、高札場とは幕府や領主が決めた法度(はっと)や掟書(おきてがき)などを木の板札に書き、人目を引くように高く掲げておく場所のことで、メディアの少ない江戸時代の広報手段ですね。
この日本橋は、家康が1603年に日本橋川にかけた橋で、翌年には、東海道を含む五街道の起点として定められました。木製の橋は幕末まで、火事で何度も焼け落ちてしまいましたが、その都度架け替えられてきました。

広重が描いた東海道五十三次の最初の1枚、「日本橋」にはたくさんの別バージョンがあります。

この後摺りは、空の紫色の雲が水色になっています。

この後摺りは、空の雲そのものがなくなっています。

変わり図は、副題も「行烈振出」となっており、橋の袂には様々な職業の沢山の江戸市民が描かれています。左の、本門寺お会式帰りの講の信者たちが楽しそうでいいですねえ。これらは、このシリーズが売れに売れて、版板が、劣化して使えなくなったので、新しく作り変えたのではないかと言われています。

隷書版は、東から江戸城と雪を頂く富士山を一緒に描いています。江戸っ子の象徴である初鰹をそのまま担いで橋を渡る棒手振りが滑稽ですね。
後ろの蔵のマークを右から詠むと「東海道五十三次丸清板」と、版元のPRがさり気なく入っています。

行書版は、夜明け前の日本橋を正面から描いています。大名籠を全く意識していない、右側の旅人たちがいい味を出していますね。

狂歌版は、橋の東側から江戸城と富士山を一緒に描いています。橋の下に係留されている船の数を見ると、この場所が流通の一大拠点だったことが、よくわかりますね。

広重は、この日本橋界隈を名実共に日本一の街だと思っていたようですね。そこに、形ばかりの権力の象徴である大名行列を描き、江戸市民が主役だといわんばかりに、意に介さず仕事に励む職人たち。変わり図では江戸市民を倍増させているのもおもしろいですね。

これが現在、広重の視点から、日本橋を見た写真です。日本橋川の上に首都高速が覆い被さり、空を覆ってしまっています。左が高札場で、その先の川向こうが日本橋三越別館です。

江戸時代には、橋の欄干に擬宝珠のある橋は限られていましたが、日本橋にも擬宝珠が用いられていました。現在は、元高札場に、石の擬宝珠が再現されています。

現在の日本橋には対になる獅子像が旧東京市の紋章を持って鎮座していています。高欄中央部にある青銅製の照明灯には、翼を持つ麒麟像があります。現在の橋は1911年に完成し、1999年には、国の重要文化財にもなっています。

橋の北詰西側には、日本道路元標としての碑が埋め込まれ、おお、ここが日本の中心かと、思わず呟いてしまいます。

同じ場所を大正7年頃に撮った写真がありました。当時の解説には明治末に工費数百万円をかけて石橋に作りかえたとなってます。橋を覆う首都高速道路はまだ架かっていませんね。

さあ、東海道は、ここから遙か京都まで487kmの旅が始まります。この先をGoogleMAPのストリートビューでご覧ください。オレンジ色の東海道は、このあたりでは中央通りや銀座通りと呼ばれ、銀座を1丁目から8丁目まで突き通し、その先は、新橋から第一京浜と呼ばれて品川に向かいます。

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