33 白須賀 汐見阪圖

日本語版

東海道は、荒井宿を出ると海沿いを進み、途中から遠州灘を背に急な坂を登ります。廣重は、そこから振り返って見た海を描いたようです。この汐見阪は富士山と遠州灘の海原を望む景勝地として知られていました。

荒井宿から白須賀宿までは、約6.8kmほどの距離になります。

東海道は荒井宿を出ると南下して、今の国道一号線と合流し、橋本ですぐ右によれて、山沿いの細い道を進みます。

しばらく進むとその頃の東海道を彷彿とさせる、大倉の松並木が現れます。

さらに進むと右側に、今でも残る内藤家の長屋門が見えてきます。以前は、このあたりが白須賀宿の中心でした。しかし、宝永4年(1707年)に発生した宝永地震と津波により大半の家が流されてしまったため、翌年には汐見阪を上った高台に宿ごと移転しました。

この長屋門を過ぎるとその、汐見阪の入口が右に見えてきます。この坂の途中から見た景色を、広重が画にしたものと思われます。

廣重の画は、坂の上から見た遠州灘を感動的に描いています。しかし、手前の大名行列はそんな絶景には目もくれず、さっさと坂を下りていくのがとても興味深いですね。そもそもこのあたりの東海道は、武士や公家などの公的な旅人以外はあまり利用されていなかったので、廣重がその事を皮肉って行列を描いているのかもしれません。
この画の大名行列の少し右側の高台には、西から旅をしてくると初めて、松の間から富士山に出会える、「富士見の松」というのがありました。ですから、西からの旅人は富士山に感動し、突然広がる海にまた、感嘆の声を上げていたわけですね。

海岸線には、漁村の屋根と茶色い網を干してある光景が詳しく描かれています。海上には手前にたくさんの小さな漁船、遠くに弁才船の帆だけが描かれています。水平線が真っ直ぐ定規で引いたような直線で描かれていて、広角に広がる遠近感と遠州灘の雄大さを表現していますね。

隷書版もやはり汐見阪を描いていて、風景重視で山がひたすら強調されています。また当時も今も、東海道のこのあたりで画のように急な崖になっている場所はありませんでした。

行書版も汐見阪ですが、のんびり景色を楽しむ旅人が嬉しくなりますね。ただ、東海道の汐見阪ではこんなに開けていて、海が望める場所はありませんでした。

狂歌入りは、もっとも開けた図で、遠州灘がいっぱいに描かれ、茶店でゆっくり休む旅人もいます。しかし、汐見阪には茶店ができるような開けた場所はなく、坂を上がったあたりでも、海は見えません。

保永堂版の白須賀をよく見ても、どうやら廣重はこのあたりの実際の景色を見ていないのかもしれないと思われる部分が多々あります。

実際にこの汐見阪に行ってきました。
廣重の描いた大名行列の道の方向を優先に考えて、無理に汐見阪を見るとこんな感じで、どうしても海が見えません。

汐見阪は海に対して横ではなく、ほぼ海を背にして上るようになっているので、海が見える場所まで下りて来た写真が、これです。廣重の画に一番近い景色ですが、海の見え方がもう少し欲しいですねえ。

もう少しだけ海が広く見える写真の方が、全体的に廣重の描いた画に近くなりますが、大名行列が通る道は全く見えません。しかし、実際にここまで海の見えない台地を歩いてきて、目の前にこんな景色が広がったら、これはなかなか感動的だろうなあ、と思ってしまいますね。

大正7年に発行された本の復刻版に載っていた、その頃の写真です。ほぼ現在と同じような景色ですが、もう少し民家も木々も少なかったようですね。

Appleストリートビューで、このあたりを海側から見た画をご覧ください。
汐見阪の下にあった旧白須賀宿は、宝永地震と津波により宿ごと高台に移転しましたが、この画の描かれた頃の記録によれば、白須賀宿の人数は2,700人、民家610軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠屋が27軒あり、宿場としては中規模でした。

しかし、今では「白須賀」ってどこ?という方も多いですね。
明治の東海道本線の敷設計画の際に、東の荒井宿から白須賀宿へ至る汐見阪の勾配が、蒸気機関車で登るには無理ということになり、浜名湖沿岸の鷲津経由となってしまいました。水色の線ですね。さらに国道一号線浜名バイパスも新幹線も、微妙に白須賀宿を避けて開通しました。

そんな開発から免れた分、白須賀は現在も一部に江戸の街並みを残す、静かな街となっています。このわずかに起伏のある、いい感じの街並みをご覧ください。

白須賀の「すか」とは、砂の溜まる場所という意味で、実際このあたりの浜辺には、天竜川がもたらした真っ白な砂の海岸が4キロ以上続いていています。

白須賀の名物は、なんと言っても雄大な遠州灘の景色でした。今でも白須賀海岸や、潮見ビーチと呼ばれて人気となっています。

西から歩いてくる旅人が味わう、突然目の前に広がる雄大な遠州灘の感動を、廣重は汐見阪の画に込めて伝えたかったのかもしれませんね。

Googleストリートビューで、この先を上から見た画をご覧ください。東海道をオレンジ色で入れてみました。上から見てみると、様々なドラマをくぐり抜けた白須賀の今を見ることができます。東海道は、ここから何もない台地の上を二川宿に向かいます。

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