東海道五拾三次之内
岡部 宇津之山
おかべ うつのやま
保永堂版 歌川広重 画
大英博物館 蔵
この岡部宿の画は、難所と呼ばれた宇津ノ谷(うつのや)峠を背に、坂道を上り下りする人々を描いています。
岡部宿は一つ前の丸子宿から約8kmの山越えコースなのですが、広重が画にした地点は、その2/3程進んだぐらいの地点だと思われます。
丸子宿から丸子川を渡った東海道はしばらく川の南側を進みます。やがて、正面の奥に宇津之山が見えてきます。
実際の東海道は国道一号線をつかず離れず進みますが、道路建設のために、あちこちで寸断されます。今では、道の駅宇津ノ谷峠上り線のトラック用駐車場あたりが旧東海道となります。ここを過ぎて、蔦橋で丸子川を渡ると左側に山に上がる小道があります。これが旧道である、蔦の細道です。地図では緑色で表しています。
これに高低差の分かる地図を被せてみました。
この「蔦の細道」は、平安時代からの古い道でしたが、豊臣秀吉が小田原攻めに向かう大軍を通すには、ちょっと険しすぎました。そこで、西側に新たな峠道を整備させました。それが江戸時代に入ると正式な東海道となり、宇津ノ谷峠の前後にも丸子宿と岡部宿が置かれました。
東海道は峠の手前で丸子川を渡り、間の宿でもある宇津ノ谷村を通ります。ここから先は峠まで、蛇のようにくねった坂道を登っていきます。
東海道は、峠のあたりでは今は車も通れないような細い山道になっています。
山を下りると少し開けた場所となり、坂下地蔵堂あたりで蔦の細道と合流し、広重が画に描いた地点に進みます。
ここで、広重の画を詳しく見ていきましょう。
正面奥に黒く見えているのが宇津之山です。その手前にはわずかばかりの民家があり、先からたくさんの柴を担いだ木こりの一行が歩いてきています。右側には勢いよく川が流れていいて、こちらからも旅人と、柴を背負った村人が細い道を登っていきます。画全体は、青と黒を基調にした絵で、全体に暗い峠道の感じが出ています。
隷書版は、宇津ノ谷峠を越えたあたりを岡部宿方向に向かって下って行く、旅人の姿を描いています。
行書版は、峠あたりの茶屋で名物の「とうだんご」を売る、立場の茶屋を描いています。
宇津ノ谷峠に現れる鬼のたたり除けとして、30個の豆粒大の団子を一連にし、それを3本束ねた「十団子(とおだんご)」が作られるようになりました。江戸時代には旅人の安全を守る宇津ノ谷峠の名物として、主に麓の宇津ノ谷村で売られていました。
狂歌版も、やはり、峠の茶屋を描いています。
しかし、この三つの画における峠の景色は、現在はどれも実際には存在しません。東海道の宇津ノ谷峠は、かなり狭いくねった山道で、木々が鬱蒼と茂る場所なので、景色が見渡せる場所はほとんどありませんでした。まして、茶店などを設える広い場所も当然ありませんでした。
広重が描いた場所を特定するために古い絵図をご覧ください。この絵図は東海道がメインに太く描かれ、くねっている道も真っ直ぐに描かれています。
この絵図を見ると分かりますが、宇津之山が正面に見えて右に川が流れる場所は一ヶ所しかありません。この場所を黄色い破線の丸で示しておきます。
ここで、広重が描いた五十三次シリーズの「竪画」版もご覧ください。
この絵も、ほぼ保永堂版と同じ構図になっています。右側に川が流れていて、途中に茶店があり、奥に宇津之山が見えています。副題には蔦の細道と書いてありますから、東海道との合流地点である、坂下地蔵堂の近くではないかと思われます。
この場所を探しに行ってみました。
ここは山道というより、工事期間に生じた作業用道路の様相を呈していますが、実際の東海道です。少し先には、旧東海道の宇津之山峠に入る岡部口の標識も見えてきます。
右に流れる川は、現在の岡部川の支流、木和田川です。
GoogleMAPで、少し上空からご覧ください。
このあたりでも東海道は、一号線のバイパス工事であちこち寸断されていますが、当時の東海道をオレンジ色で入れてみました。広重の視点も入れています。
この先の岡部宿は、南北に約1.5km、人口は2,300人ほどの小さな宿でしたが、宇津ノ谷峠の西の入口に位置していたことから、難所の峠越えを支える大事な場所となっていました。
しかし、今では東海道の岡部?え?それどこ?というぐらいマイナーな街になっています。その理由は、もう少し広域のGoogleMAPでみると分かってきます。左側の満観峰(まんかんほう)という400m級の山が海側にあります。明治時代、東海道線の施設計画は当初、岡部宿を通る予定でしたが、地形が険しい上に遠回りとなる宇津ノ谷峠を避けて、満観峰(まんかんほう)の先の用宗からトンネルを通して瀬戸川河口の焼津に抜けてしまいました。この鉄道のルート選択が、その後の岡部を賑わいから遠ざけていきました。1925年(大正14年)には、藤枝からの藤相鉄道(とうそうてつどう)が岡部まで開通ものの、わずか11年で廃止され、山を背にした行き止まりの岡部の街はさらに静かになっていきました。
これが今、藤枝市に編入された岡部の街です。江戸時代、たとえ険しい山道をひかえていても、時代のメインストリートだった東海道の岡部宿が、今ではとても静かな街となっています。
国道一号線の藤枝バイパスは4車線となり宇津ノ谷峠をトンネルであっという間に通り過ぎ、岡部の町を西側に見て、直ぐに通り過ぎてしまいます。
この写真の旅籠、柏屋(かしばや)を経営していた山内家は、岡部で繁栄を極め、その富を背景に名誉ある地位をつとめた岡部宿屈指の名家でした。天保7年(1836年)に建てられた建物が今も残る旅籠は、国の登録有形文化財に登録されて、今は、当時の繁栄を知る歴史資料館となっています。
難所、宇津ノ谷峠を越えた東海道は、岡部宿からほぼ平地となり、遠くに駿河湾を望みながら藤枝を目指します。



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